2011年06月22日

平安時代☆年表(1151年〜1184年)

平安時代☆年表(1151年〜1184年)  へいあんじだい
平安時代☆年表(1151年〜1184年) 
1151年 藤原頼長、内覧となる
藤原頼長、興福寺衆徒の武装を禁止
藤原顕輔、『詩花和歌集』を撰進
1154年 延暦寺僧徒、林大夫光家の赦免に抗議し強訴
源為朝の乱行により、父・源為義、解官
1155年 諸国飢饉
源義平、武蔵国比企郡大蔵館で叔父・源義賢と合戦し殺害
源義朝、院宣により弟・源頼賢を討つ
後白河天皇即位
1156年 鳥羽法皇没
保元の乱起こる
新立荘園を停止(新制7ヵ条)
記録荘園券契所を復す
1157年 藤原頼長らの所領を没収し、後院領とする
新内裏造営
新制35ヵ条を下す
1158年 後白河天皇譲位
二条天皇即位
1159年 平治の乱起こる
源頼朝・義朝・朝長・義平ら、東国に逃亡
1160年 源義朝・義平殺害される
源頼朝、捕えられ、伊豆に配流
平清盛、正三位となる
1161年 平時忠・平教盛、陰謀により解官
1164年 平氏一門、法華経などの写経を厳島神社に納経
九条兼実、『玉葉』を記す
1165年 延暦寺と興福寺の僧徒、席次を争う
1167年 平清盛、太政大臣となる
平重盛、諸国の賊徒を追捕
1168年 平清盛出家
京に大火
栄西・重源、宋より帰国
1170年 藤原秀衡、鎮守府将軍となる
平重盛、摂政藤原基房を襲わせる
1171年 後白河法皇、平清盛の福原別業に御幸
平清盛の娘・徳子入内(のち建礼門院)
1172年 平徳子、中宮となる
宋より後白河法皇と平清盛に贈り物
このころ藤原為経『今鏡』成立か
1174年 後白河法皇・建春門院、平清盛の福原別業に御幸し、平氏一門とともに厳島神社に参詣
1176年 建春門院没
伊豆の河津祐奉、工藤祐経により殺害される
1177年 延暦寺僧徒の強訴により加賀守藤原師高を尾張国に配流
京に大火
天台座主明雲、伊豆国に配流
平清盛、西光を斬首、藤原成親・俊寛・平康頼・藤原成経を配流(鹿ヶ谷事件)
1179年 平重盛没
平清盛、関白を藤原基通に替え、院の近臣39人を解官
平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉、院政を停止する
この年、『染塵秘妙』完成
1180年 高倉天皇譲位
以仁王、平清盛追討の令旨を下す
安徳天皇即位
以仁王・源頼政ら、宇治川で敗死
源頼朝、伊豆で挙兵するが、石橋山の戦いに敗れ安房国に逃亡
源(木曾)義仲、信濃国で挙兵
頼朝、鎌倉に入り、富士川の戦いで平氏を破る
頼朝、和田義盛を待所別当とする
平重衡、南部を攻める
1181年 平宋盛、畿内と近国9ヵ国の惣官となる
平清盛没
京中に餓死者があふれる
平重衡、尾張国墨俣河で源行家を破る
重源、東大寺再建のため諸国を勧進
1183年 平維盛ら、源義仲追討のため北陸道へ向かう
義仲、越中国倶利伽羅峠で維盛を破る
平氏、天皇・神器を奉じて西国に向かい、義仲・源行家、入京
院宣により、東海・東山道の荘園・国衙領を復す(十月宣旨)
源頼朝、義仲追討のため源範頼・義経を京に送る
1184年 源義仲、征夷大将軍となる
源範頼・義経、義仲を破り入京、義仲は敗死
範頼・義経、一ノ谷で平氏の没官領を得る
義経、検非違使となる
頼朝、公文所・問注所を設ける



posted by ゆめこ at 08:33| 平安時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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